許容範囲
ブログでは塾と関係のないことのみを書いています。
本当にたいしたことは書かないので 御用とお急ぎでない方、
特に、お暇で気が向いた方にお読みいただければ幸いと書く次第です。
「三献茶」というお話がございます。
のちの天下人、豊臣秀吉がまだ近江長浜城主だった頃のこと、
鷹狩の途中でとあるお寺を訪れました。
「羽柴筑前じゃ、茶を所望したい」
利発そうな少年僧佐吉が持ってきたのは、大きな茶碗にぬるめで薄めでたっぷりのお茶。
鷹狩でのどが渇いていた秀吉さん、これを一気に飲み干すと、
「もう一服所望じゃ」
二杯目はやや小ぶりな茶碗にやや熱めやや濃いめのお茶が。
秀吉さんもやや落ち着いてこれを飲むと、
「もう一服」
三杯目は高価な小茶碗、熱くて濃いお茶が少量入っていました。
秀吉は三杯目のお茶をゆっくり味わうと、この気遣いように見込みありと感心し、
「寺の小僧にしておくは勿体ない、佐吉よ、我に仕えよ」と言ったそうな。
栴檀は双葉より芳し、蛇は寸にして人を呑むとも申します。
この気の利く小僧佐吉こそ、誰あろう、のちの石田治部少輔三成。
やがては徳川家康を敵に回して天下分け目の合戦をするという、
歴史に名をのこす一門の武将、石田三成とあいなるのであります。
以上「三献茶」という
石田三成が豊臣秀吉に見いだされた時のエピソードです。
ふとしたことからも逸材を逃さず登用した秀吉の抜け目なさを、
また、僅かなチャンスを逃さず世に出た三成の優秀さをたたえるお話なのですが、
今日、私がお話ししたいのはそこではありません。
お茶って、薄くても濃くてもそれなりに美味しく飲めるよなあ、というお話です。
私はお茶はそれほど飲まないのですが、珈琲はよく飲みます。
濃いめが好みでよく飲みます。熱い濃い珈琲が好きです。
濃いめが好みなのですが、場合によっては薄めも好きです。
暑い夏、のどが乾いた時のキンキンに冷えた薄めのアイス珈琲も好きです。
珈琲という飲み物も、濃くても薄くてもそれぞれの美味しさがあります。
まあそんなことを言ったら、食べ物飲み物はたいていそうだとも思えます。
こってりとんこつラーメンも、あっさり塩ラーメンもそれぞれ美味しい。
関西風のあっさりうどんも、名古屋の味噌煮込みうどんも。
大人向けですが、濃厚なギネスビールも、軽くさわやかなコロナビールもそれぞれに美味しいです。
あげたらきりがない。
「濃くても薄くてもそれぞれ美味しい」は、当たり前のことなのでしょうか。
深く考えることでもなさそうなので、
とりあえず当たり前の常識ということにしておきましょう。
で、お話変わりまして、この時期の私の日々のことなのですが、
寒くなるにつれ受験勉強も本格化、私にも幾ばくかのストレスがかかるからでしょうか、
珈琲をいつもに増してよりたくさん飲むようになります。
量も増えるし濃くもなります。毎年たいていそうなります。
そうなると、これもたいていそうなるのですが、
カフェインの摂りすぎもいかがなものかと思うようになります。
珈琲ばかり飲んでいないで、違うものも飲もうと思います。
そして毎年、とある同じ飲み物を飲むようになります。
毎度長い前置きにお付き合いいただき、誠にありがとうございます。
ここからが本題、「許容範囲のごく狭い飲み物」というお話を。
私はここでとある飲み物を選択します。
カフェインが入っていなくて、寒い時期に体が温まる飲み物。
めんどくさがりの私は、
急須や茶殻を片付ける手間のかからないこの飲み物を飲み始めます。
そしてその飲み物は常識(?)に反して、
ほんの少し濃くても、ほんの少し薄くてもあまり美味しくない。
美味いと感じる濃度の「許容範囲がごく狭い飲み物」です。
自分で淹れておきながら、いっつも、
「ちょっと濃かったなあ」「ちょっと薄かったなあ」と思い、
そう思いながらも面倒なので「まあいいか」とそのまま飲んでいます。
10回に1回くらい「おお、これちょうどいい」となります。
この飲み物とは何か?
ご想像がつかれましたでしょうか?
私が極めて許容範囲が狭いと思う飲み物、
「濃くても薄くてもそれなりに美味しい」という飲み物の常識の埒外にある珍しい飲み物とは?
それは、
「梅こんぶ茶」(顆粒)です。
いかがでしょう?共感していただけますでしょうか?
梅こんぶ茶をちょうどいい濃さで淹れるのって難しくないですか?
もしかしたら私だけかもしれませんが、
梅こんぶ茶のちょうどいい濃度許容範囲は極めて狭く難しい、と思っています。
「三献茶」の佐吉少年、のちの石田三成も、
抹茶(おそらく当時のお茶といえば)だったからうまくいったのです。
お茶の許容範囲の広さがあってこそ、秀吉に見いだされたのです。
もしあのお茶が抹茶ではなく梅こんぶ茶だったら・・・
秀吉の感想もちがっていたでしょう。
「二杯目だけはちょうどよい濃さで美味かった。」
「一杯めは薄すぎ、三杯目は濃すぎで美味くなかった。」
「不器用な小僧だぎゃあ」となって、
取り立てられることもなく後の石田三成はなかったかもしれない。
などと、
例によて愚にもつかないどうでもいいことを考えつつ
梅こんぶ茶で一服をする今日この頃であります。
毎度、駄文にお付き合いいただき、誠にありがとうございます。
また、お暇のおりにお付き合いいただけますよう、よろしくお願いいたします。