対面授業の価値
ブログでは塾と関係のないことのみを書いています。
本当にたいしたことは書かないので 御用とお急ぎでない方、
特に、お暇で気が向いた方にお読みいただければ幸いと書く次第です。
時に、おっ、という文章に出会うものです。
思わず膝を打ち、深く納得しました。
堀井憲一郎さんという、落語に造詣の深いライターさんの文章です。
落語はライブで聴くに限る。その理由を簡潔に述べた文章です。
子供のころ、眠る前に、お母さんにお話をしてもらうのがうれしかった記憶のある人もいるだろうが、落語はたぶんあれと同じだとおもう。
お母さんのお話はライブだから意味がある。
お母さんが寝る前の枕元にいてくれること、自分だけに向かって話してくれること、そこが大事なのであって、お母さん忙しいから、昼に録音したのを聞きながら寝てね、とデータを渡されても、とても哀しい。
ましてや、これは亡くなった「先々代お母さん」の録音なの、今日はこれを聞いてねと渡されたら、たぶん、子供は怖いだけである。
落語もそれである。
落語はライブで聴くに限る。その理由を簡潔に述べた文章で、
論理の明快さと例えの適切さに感心しました。
と、同時に、この文章から、
「対面授業の価値」の説明にもなっているなと思いました。
「映像授業」と「対面授業」の二つの選択があったとき、
映像授業の宣伝文句はとても魅力的です。
曰く、いつでもどこでも自分のペースで勉強できます。
超人気のカリスマ講師のハイレベル授業が受けられます。
学校や塾にわざわざ行かなくても自宅で学習できますよ。
確かに魅力的です。
コスパ、タイパ最高です。
私たちもコロナ禍のときは重宝しました。
しかし、対面授業再開となったとき、
「映像授業だけでいいよね、学校も塾もいかなくていいよね」とはなりませんでした。
同業の皆さん口をそろえて言ったのは、
「映像はあくまで補助、対面で授業をするに越したことはない」でした。
私も同感でした。
映像のカリスマ講師よりも、自分の授業のほうが良い授業だと言っているのではありません。
たとえ拙い授業(自分ではそうは思っていませんが)であったとしても
「対面で授業をする」ことに価値があると感じているのです。
なぜそう思うのか。
うまく言葉にできなかった、そう思う理由を、
みごとに説明してくれている文章でもあるなと思いました。
毎度、駄文にお付き合いいただき、誠にありがとうございます。
また、お暇のおりにお付き合いいただけますよう、よろしくお願いいたします。