落語の楽しみ
ブログでは塾と関係のないことのみを書いています。
本当にたいしたことは書かないので
御用とお急ぎでない方、特に、お暇で気が向いた方にお読みいただければ幸いと書く次第です。
落語が好きです。
「あ~日曜日の、テレビの、笑点のあれね」
という方にはまずこれをご説明申し上げたいのですが、
笑点の大喜利、あの大喜利というのは落語のほんの余興、余技です。
落語における大喜利というのは、
ハンバーグ定食で例えれば、ハンバーグでもソースの味でもなくパンやライスでもなく、付け合わせのマッシュポテトでもにんじんのグラッセでもなく、添えてあるパセリかクレソンです。
落語と大喜利はそんな関係です。
落語は短い話で3分くらいから長いと1時間くらいのまとまったひとつのストーリーを、
一人の落語家が扇子と手ぬぐいだけで、座布団に座ったままで話をするという芸能です。
舞台セットも音響効果も基本ありません。衣装も着物と決まっています。
噺(はなし)の中には老若男女多数登場しますが、何人登場しようが一人の噺家が演じ分けます。
実にシンプルです。
笑えるおもしろい話し(滑稽話)が多いですが、笑いのない泣ける話(人情話)や怖い話し(怪談)などもあり、「落語=お笑い」とするのは少し乱暴です。
江戸から明治大正あたりまでに作られた噺を古典落語といって、同じ話、例えば「寿限無」なんかを、いろんな人がそのままだったり自分流にアレンジを加えたりしながら演じます。
自分で噺を新しく作る人もいて新作落語といいます。噺の舞台は現代です。
新作と古典、どちらがエラいということはないのですが、古典の上手な人を本格派とか本寸法なんて褒める向きもあります。
以上、落語基本情報です。ご清聴ありがとうございました。
落語の楽しみには、ちょっと不思議に思われるだろうところが2つほどあります。
まず、「知っている噺を何度も楽しむ」という点です。
「ネタバレ」という言葉がよく使われます。
映画やドラマのストーリーを、これから観ようと思っている人、まだ観ていない人にバラしてしまうのは厳禁です。
ストーリーを事前に知ってしまっては楽しみ半減どころか「じゃあ観ない」となりかねません。
現代のマナーです。
落語の不思議その1はここです。
「落語は知っている噺でも楽しめる。何なら知ってる噺の方が楽しめる」という不思議な楽しみ方をします。
これには答えらしきものがあります。
古典芸能から来た言葉に「趣味・趣向」という言葉があります。
数ある演目の中からどの演目を選ぶか、これを「趣味」といいます。
ですから今でも服を選ぶセンスがよかったりすると「趣味が良い」ですね、というわけです。
数ある中からわざわざバッドなものを選ぶと「趣味が悪い」となるのです。
そして、選んだ演目をどのようにアレンジして楽しませるか、これを「趣向」といいます。
ですから、今日のパーティーは「趣向」を凝らしましたと、自分流の今回限りのアレンジを「趣向」といい動詞は凝らすです。
知っている噺を楽しめるのは、この「趣味・趣向」システムがあるからです。
どの噺を選んだか(趣味)から始まり、それをどう演出するのか(趣向)を楽しむのです。
「まんじゅう怖い」とか「寿限無」のような有名な噺も、演者のアレンジによって全く違う噺になったりします。噺家の個性が表われるのです。
この楽しみを知ると、ストーリーは知っていた方がより楽しめます。
他の噺家の同じ話を知っていれば、噺を通じてそれぞれの噺家の個性の違いは鮮明になります。
現代落語の巨人立川談志は言いました、
客は「落語(作品)を聴きに来てるんじゃねえ、俺を聴きに来てるんだ」と。
その通りです。ストーリーは知っています。
知っているストーリーを今日の談志がどう演じるのかを観ているのです。
ストーリーはひとつの道具です。
ネタバレなんてケチな言い草だと落語はドンと構えているのです。
お話を伝えるエンターテイメントは落語の他にも沢山あります。
小説、ドラマ、映画、演劇、コントなど沢山ありますが基本「ネタバレ厳禁」がマナーです。
しかし、落語だけは「ネタバレ上等」なのです。不思議に思われますか?
次の不思議は、「同じ人の同じ話を何度も楽しんだりもする」という点です。
こうなってくると趣味趣向の楽しみもありません。
同じ噺家の同じ噺を何度も聴きます。繰り返し聴きます。覚えちゃうくらい繰り返し。それでも楽しいのです。
よく考えると、これはそれほど不思議ではないのかもしれません。
どんなジャンルのエンターテイメントでも繰り返し鑑賞したくなる作品はあるものですよね。
同じ映画を繰り返し観るとか、同じ本を繰り返し読むとかありますよね。
お話ではないですが音楽なんて1回聞いておしまいってまずなくて、何度も聞いて楽しみますよね。
落語と音楽は楽しみ方としては近いのかもしれません。
談志が「落語はリズムとメロディーだ」と言っていたのはこのことでしょうか?
好きな曲を繰り返し聞くように同じ噺家の同じ噺を繰りかえし聞いても楽しいのです。
こう考えてみると、落語の楽しみはやはり古典全般に共通する楽しみ方かもしれません。
歌舞伎やクラッシック音楽の楽しみも似たものなんだと思います。
どうか、笑点の大喜利だけで「つまんな」と結論づけず
機会があったら落語、楽しいですよ。
毎度、駄文にお付き合いいただきありがとうございます。