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安全安心

ブログでは塾と関係のないことのみを書いています。

本当にたいしたことは書かないので 御用とお急ぎでない方、

特に、お暇で気が向いた方にお読みいただければ幸いと書く次第です。

 

「言葉が生まれた瞬間を見た」というお話を。

 

2011年3月11日東日本大震災が起こりました。

もう10年もたつのですね。

今もコロナで大変ですが、あのときも大変でしたよね。

 

当時、全くの力不足ですがPTA会長の大役を仰せつかっていました。

そんなことから柄にもなく、様々な場面でご挨拶をさせていただく機会が多くありました。

 

挨拶は難しいです。 堅すぎず柔らかすぎず、

なにより失礼のないようにしなければなりません。

柔らかすぎで若干失礼なことを言いがちな私は挨拶のたびに苦労しました。

言葉を選んで挨拶をさせていただきました。

 

時まさに未曾有の緊急事態です。

多くの人が亡くなったり被災しています。

近しい人を亡くしたり、生活に困ったり、心身ともに傷ついている人が大勢います。

マスコミもいつも以上に、いろいろな状況の人々に配慮した言葉遣いをしています。

歌番組やバラエティ番組は放送を自粛していました。

 

私も様々な背景を抱えた多くの人の前で話しをするときには、

誤解や気分を害される言い方をしないように気をつかいました。

 

小田原は直接の被害はさほどありませんでしたが

計画停電で電気のない生活を余儀なくされたり、

物流が滞りスーパーやコンビニの商品棚がガラガラになったり、

ガソリンスタンドが長蛇の列となったりと非日常の日々でした。

 

なにより原発事故により発生した放射能の問題。

普段意識することのなかった放射能ですが、 その影響をめぐって侃々諤々、論争の的でした。

 

今のコロナ禍の現状に既視感を感じます。

 

放射能はとっても危険派から全然大丈夫派まで、上を下への大騒ぎ。

科学的に考えると…、から始まった話しが最後まで聞いたら実はオカルトだったり。

「放射能」を「コロナ」に変えれば全く同じ、10年たって同じ状況になったなあと思います。

 

震災で大変な影響を受けた人、影響が少なかった人。

放射能をとても心配する人、全く大丈夫との信念の人。

様々極端な考えと気持ちを持った人々を前に、使える言葉は限られます。

 

まったくの私見で、異論も多々ございましょうが

「安全安心」という言葉が、あたかも既成の四字熟語かのように使われはじめたのは、

この時期からだったと思っています。

 

「安全」と「安心」をセットで「安全安心」と使うのは以前にもなくはなかったとは思います。

ですが東日本大震災以降、より日常的に使われる言葉になったと思います。

 

様々な場面で「安全安心」という言葉が使われました。

未曾有の大災害、見えない放射能の恐怖、飛び交うデマ。

 

だれもが不安な日常を過ごす中で「安全安心」はすべての人の願いだったのだと思います。

 

屁理屈をこねがちな私は

「安全」とは科学の言葉。

100%と言い切ってしまうのは科学の態度ではありません。

0に近いリスクでも、リスクは○○%よって安全具合はこれくらい、危険度はこれくらいと明らかにするが科学の仕事です。

 

翻って「安心」は心理の言葉です。

100%と言い切ってくれないものに安心はできません。

 

よって「安全安心」とは自己矛盾をきたした言葉である。

なんて小賢しいことを言いがちなのですが、

あのときばかりはちがいました。

 

「『安全安心』を目指して活動していきたいと思います。ご理解ご協力をお願いします。」

何度言ったでしょうか。また、何度聞いたでしょうか。

 

「安全安心」は東日本大震災以降定着し、四字熟語のように使われるようになったと私は感じています。

 

現在のコロナ禍の状況でも広く使われつつある言い回しがあります。

「安全安心」のように今後も日常使う言葉になるものもあるのでしょうか?

 

「きっちり」「しっかり」「徹底的に」という副詞は多用されている気がします。

それらが定着してしまったら少し息苦しい気がします。

 

今、私が最も恐れているのは「気の緩み」という叱責の言葉です。

気を緩めることが大好きな私にとっては自分を叱る言葉にしかきこえません。

どうか「気の緩み」だけは早く廃れますうにと願う今日この頃です。

 

毎度、駄文にお付き合いいただきありがとうございます。

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