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ヒッチハイク

ブログでは塾と関係のないことのみを書いています。

本当にたいしたことは書かないので 御用とお急ぎでない方、

特に、お暇で気が向いた方にお読みいただければ幸いと書く次第です。

 

「ヒッチハイクの人を乗せてみた」というお話を。

 

ヒッチハイクという文化がある、ということは知っていました。

「〇〇方面」とか「〇〇行き」と書いた紙を掲げ、親指を立て、

親切な人のクルマに同乗させてもらい、無料で移動するというものです。

タレントの有吉弘行が猿岩石時代に、

ユーラシア大陸を横断し最初の大ブレイクをした例のアレです。

 

私自身、ヒッチハイクをしたことはありません。

しようと思ったこともありません。

 

ヒッチハイクでクルマを探している人を、見かけたことは何度かありました。

間が良ければ乗せてあげてもいいかな、と思ったこともあったかもしれませんが、その程度です。

 

ヒッチハイカーを乗せたことはおろか、声を掛けたことすらありませんでした。

あの日までは、です。

 

 

あれは、コロナ禍になる前ですからもう2、3年も前のことになるでしょうか。

 

季節は春、ところは東名高速道路、上りの富士川サービスエリア。

帰宅の道すがら、夜の8時頃だったと思います。

 

その日の私は、休日で、静岡、愛知の県境あたりの城跡巡りをした帰りでした。

行ってみたかった中世の山城跡、古戦場跡をクルマでめぐり、休日を満喫しました。

そうです。お察しの通り、ひとりです。

(いえ、同情はいりません。そんなのが楽しいって人もいるんです。)

 

楽しい休日も終わり、帰りの高速道路に乗って、

帰宅までの最後の休憩をと、富士川サービスエリアに寄りました。

 

休憩して、サービスエリアを出ようとすると、出口付近に、

「海老名」と書かれた大きな紙を掲げる、青年男性3人組が見えました。

どこからどう見てもヒッチハイクの人たちです。

 

 

 

しかしまあ、ヒッチハイクってのも不思議な移動方法です。

やったことないですけど、ちょっと考えただけでも大変そうですよね。

 

クルマはたくさん走っていますが、

「え、ヒッチハイカー?オッケー。いいよ、乗りなよ。」

なんて簡単に言ってくれる奇特なドライバーさんが、そんなにたくさんいるとも思えません。

 

低確率ながら、運良くそんな人に出会えたとしても、

進む方向がこちらの希望に一致していなければアウトです。

 

方向さえ一致すれば、途中まででもいいので乗せてください、ともなりますが、

クルマを運転する人が、必ずしも遠くを目指しているとも限りません。

降ろしてもらえるところがあまりに近くで、

しかも、ここよりクルマが拾いにくいところだったら返って困りましょう。

 

自分の日常のを考えてみても、クルマに乗って遠くまで行くなんて希なことで、

たいていは生活圏内のちょっとした移動目的で使っています。

 

「気のいい人で」「方向が一致」「長距離移動が望ましい」

3つの条件が揃った人を見つけなければなりません。

これはなかなかに大変そうです。

 

その点、私が乗せた、件の青年男性3人組はなかなかアタマが良いです。

高速道路のサービスエリアでヒッチハイクすれば、

「方向」と「長距離移動」の2条件は揃ったようなものです。

私も今後、何かのひょうしにヒッチハイクしなければならなくなった時は、

忘れず最寄りの高速道路のサービスエリアを探そうと思います。

 

 

閑話休題。

その日の私は「ヒッチハイカーがいたら今日は乗せるぞ」なんて思っていたわけではありません。

たまたま、「海老名」と書かれた大きな紙を掲げる、青年男性3人組がチラリと見えただけです。

なんとなくですが、

少なくとも悪い人たちには見えない彼らを見て、私はクルマを止めました。

 

彼らは笑顔で近づいてきました。

曰く「僕たちヒッチハイクをしていて、東京方面へ行きたいんです。」とのこと。

最終目的地は横浜の戸塚ですが、その方向でいけるところまで乗せてほしいと。

 

話をしてみても、やはり悪い人たちには見えません。

私は東名高速を大井松田で降りるので、足柄SAか鮎沢SAまでならいいよと、

彼らを乗せることにしました。

人生初の「ヒッチハイカーを乗せる」です。

 

「ありがとうございます。よろしくお願いします」と礼儀正しい挨拶をしてくれました。

 

聞けば彼らは「おもにヒッチハイクで、おおむね日本一周」を目指す大学生でした。

 

そんなようなことをする人もいるってことは、知識として何となくは知っていました。

知ってはいましたが、会って話しをするのは初めてです。

私の先入観で、偏見ですが、その手のことをするのは、

良くも悪くも、ちょっと変わった人なのだろうと思っていました。

しかし、乗車した彼らはいたって普通の好青年でした。

 

ヒッチハイクとか無銭旅行とか放浪とかヒッピーとかってのは、

少なからず主張があってすること、との偏見がありました。

「自由」というものに過剰な思い入れがあったり、

「現代社会」に違和感を感じていたり、「経済優先」に異議を唱えていたりとか、

込み入った何かがある人たちなんだろう、と思っていました。

こんな偏見を老害というのでしょうか。

彼らにそんなところは微塵もありませんでした。

 

にわかに興味がわきました。

車内はさながら、私から彼らへのインタビューのようになりました。

彼らは実に明朗快活に、旅の思い出を話してくれました。

 

彼らは神奈川・東京でそれぞれ違う大学に通う、大学3年生でした。

春休みをお互い調整して、3人組で、40日間で日本を一周しようという旅の最中です。

40日での計画でしたが、少し早めの30日程度でほぼ旅程を終え、

彼らもまた家路へ向かう、旅の終盤のヒッチハイクだったそうです。

 

30日間の彼らの旅路は、まず首都圏を出発して青森まで北上、

北海道へは渡らずそこから南下。下りに下って鹿児島へ、

そこから再び北上して今日、静岡県富士川SAに至ったとのことでした。

 

旅の資金は各自10万円ほど。

ヒッチハイクが主な移動手段ですが、時には電車やバスも利用します。

「周遊券って便利なんですよ」と教えてくれました。

絶対にヒッチハイク、みたいな「こだわり」はありません。

 

宿泊は、インターネットカフェ、いわゆるネットカフェがメインだったようですが、

適宜、安価なビジネスホテル、カプセルホテルなども利用したとのこと。

 

「駅や公園のベンチで寝る」とか「野宿」するなんて完全に老害の発想でした。

「ユースホステルは?」なんて聞いてみましたが、

逆に「何ですかそれは?聞いたことないです」と返されてしまいました。

 

30日以上の旅の果てにも関わらず、彼らの身なりは清潔でした。

全国どこへ行ってもスーパー銭湯のような施設があり、安価でゆっくりできます。

よく利用したそうです。

 

コインランドリーがない街もありません。

彼らの荷物は各自、片手でも持てそうな程度のリュックひとつずつで、

持っている衣類も限られていますが、こまめに洗濯をしたといいます。

コインランドリーを見つけたら休憩がてらで洗濯していたそうです。

 

とても30日以上も家に帰っていないと思えないほど清潔でした。

今朝家を出てきましたと言われれば、そうでしょうねって感じです。

 

ヒッチハイクの旅の終わりといえば、どうしても、

髪の毛ボーボー、髭モジャモジャでゴールする、有吉弘行の若かりし頃を思い出してしまいます。

意外にもと言ったら彼らに失礼ですが、ともかくも清潔でした。

 

「旅の途中で困ったことはなかった?」と聞くと。

「何かあったかなあ?」「あ、やっぱりアレじゃない?」

三者協議の末、困ったことベストワンを教えてくれました。

 

「新潟で深夜に、コインランドリーで洗濯してたんですよ。そしたらそこに、

大きな蛾が入ってきて、3人とも蛾が苦手なんでパニクりました。」とのこと。

 

私は少なからず驚きました。

30日も流浪の旅をして、最も困ったことが「蛾でパニクった」です。

平和です。これを平和といわずして何といいましょうや。

日本は私が思うよりずっと平和な国でした。

 

ヒッチハイクの旅です。

事件とまではいかなくても、多少のトラブルに巻き込まれそうになるとか、

あやうく危険な目に遭いそうになるとか、そんなことを心配していたのですが、

そんなことは全くなかったとのことでした。

 

そうです、彼らは「苦労」を求めて旅しているのではないのです。

老害の私は、ヒッチハイクの旅と聞いて、

「若者らしく、苦労を買って出ているのかな?エラいねえ」なんて勝手に邪推していたのです。

イメージは「猿岩石のユーラシア大陸横断ヒッチハイクの旅」のままでした。

もはや「電波少年」を楽しんでいた世代は、良くて「中年」下手すると「老人」です。

ゴメンナサイ。若い人に勝手なイメージを投影するのは、今後慎むようにします。

 

彼らは旅を楽しんでいるだけ。

こだわりなく、自然体で楽しんでいました。

 

「で、あれなの?せっかくこんな旅をしてるんだから、SNSとかにあげたりしてるの?」

こういう体験を映える(ばえる)写真とともに披露し、ネット上で人気者になるのが目的なのかな?

と、また、老害の邪推です。

「してなくはないですけど・・・そんなに頻繁には・・・」と、こちらもピンときていない。

「家族とか友達には、ちゃんと連絡してますよ。大丈夫です。」と素っ気ない。

 

わざわざヒッチハイクで旅をするのだから、何か「目的」があるのだろうという、

これも典型的な老害の発想です。

加えて「若者はリアルの世界よりも、ネット空間での評価を何よりも大事にしているらしい」という、

雰囲気だけの世代論に囚われての発言。色眼鏡で見るとは正にこのこと。

いやはや、お恥ずかしいかぎりです。もうしません。

 

本当は北海道へも、沖縄へも行く予定でしたが、あっさりあきらめ予定変更。

「日本一周」にもこだわりません。「ほぼ日本一周」でいいんです。

40日の計画でしたが、30日ちょっとで終わりも気にしていません。

すべての移動をヒッチハイクで、ともこだわらず、無理なところは迷わず電車に乗ります。

「自由」なんて意味深な言葉に変に囚われすぎることもなく、

彼らは実に「自然体」で楽しんでいました。

 

ここまでの旅路で、ヒッチハイクは都合30回以上したそうです。

乗せてくれた人たちはみんないい人で、

嫌なおもいどころか、気まずい空気になったことすらなかったといいます。

「いい旅をしているなあ」と思いました。

 

それにしても、30日以上の長い間、朝から晩までずっと3人です。

飽きないのでしょうか?

あまりに長い時間なので、ちょっと仲違いするときとかって。

そんな心配を他所に、見ている限り、3人でいることに飽きている様子はありません。

3人でいることが、そもそも楽しそうです。

 

私も、もう学習しました。

「途中で仲違いすることはなかった?」なんてことは聞きませんでした。

彼らには愚問です。

 

「大学3年生ってことは、そろそろ就活?」

「ヒッチハイクでほぼ日本一周なんて、すごくいい経験をしてるから、

就活の面接では、是非この話をした方がいいよ。」と言うと。

あ、そうか、そんな風に役立つのか。と初めて気付いた様子。

この反応にもまた驚きました。

なんたる自然体っぷり。そんな意図すらもなかったとは。

 

「そっか、そうだよな。俺たちこれといった資格とかあるわけじゃないじゃん。

就活の面接で、このヒッチハイクの話し、話せるようにしておこうよ。」と、実に素直。

 

しかし、この直後の展開に、本日最大の驚きが。

 

「じゃあ、俺が面接官ね」

「え~、当社を志望した理由は何ですか?」

「俺が面接受けるの?うん。」「はい、私が御社を志望したのは・・・」

 

即興コントが始まりました。コント「就職面接」です。

フリ、ボケ、ツッコミが順次交代する笑い飯スタイルです。

 

いや、私にはコントに見えたというだけです。

彼らは本当に就職試験に向けた練習をしてるんです。

至って真面目な動機で始め、楽しく展開しているだけです。

 

きっと彼らは、この30日間、毎日こんなノリで過ごしたのでしょう。

息はぴったり。阿吽の呼吸でアドリブコントは淀みなく展開していきます。

 

即興コント(彼らにそのつもりはありませんが)の完成度にも感心し、大いに楽しませてもらいました。

しかし、私が最も感心したのは、彼らの自然な距離感です。

 

このコント、私を笑わせようと無理してサービスしてくれているのではありません。

といって、自分たちだけがおもしろければ良いという傍若無人の風でもありません。

それなりに私にも気をつかいつつ、自分たちの楽しいと思うことを、思ったようにしています。

この辺の距離感が実に自然で心地よかったのです。

 

私は感心することしきりでした。

これは、彼らが持って生まれた資質のなせる業か、はたまた、この旅が彼らを成長させたのか。

いずれにしても、大いに楽しませてもらいました。

 

私は、彼らを富士川SAから足柄SAまでクルマに乗せました。

それに対するお金はもらっていませんが、

充分すぎる楽しい時間をもらいました。

ちょっと前の言い方ですが、この経験は「プライスレス」です。

 

「馬には乗ってみよ人には添うてみよ」といいます。

時には、先入観や偏見を捨てて、

ともかくも直接会って話してみるって大事だなと思いました。

 

私はすっかり彼らのことが好きになり、

遠回りして彼らの最終目的地、戸塚まで送ってあげようかなと思いました。

でも、それはクチにはしませんでした。

それは私の好意ではあるけれど、彼らの望む好意ではありません。

それをしたらヒッチハイクではなくなります。

彼らの旅ではなくなってしまうと思ったからです。

 

次のクルマをつかまえやすいように、より大きなサービスエリアの足柄SAで別れました。

 

別れ際、ヒッチハイクでクルマに乗せてくれた人たちに、

記念に寄せ書きを書いてもらっているので、私にもひとこと書いてほしいとのこと。

 

寄せ書きを見せてもらいました。

色紙にびっしり、名前とメッセージか書かれていました。

もう余白は少なくなっていました。

月並みな励ましの言葉と名前を書きました。

 

「最後に写真を一枚、いいですか?」

もちろんです。

私は渾身の変顔で3人に笑ってもらいました。

 

毎度毎度、駄文にお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

また、お暇のおりにお付き合いいただけますよう、よろしくお願いいたします。

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