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都市伝説

ブログでは塾と関係のないことのみを書いています。

本当にたいしたことは書かないので 御用とお急ぎでない方、

特に、お暇で気が向いた方にお読みいただければ幸いと書く次第です。

 

私たち神奈川県西部に住む人間にとっては当然のことなのですが、

城址公園(ジョーシコーエン)といえば、

これはもう小田原城城址公園のことを指すわけであります。

 

小田原のシンボル、小田原城。

本日は、その「小田原城にまつわる都市伝説」というお話を。

 

現在は城内外の整備も進み、すっかり街並みごときれいになりました。

観光でいらっしゃった方にも、小田原の歴史と文化を堪能していただけるようになりました。

大人の方が、ふらりと観光でお立ち寄りいただいても楽しめるようになりました。

「大人が楽しめる街、歴史と文化の香り漂う小田原城」ってとこでしょうか。

 

しかし、地元のお古くからの方がたにとっては、

少々印象が違うかもしれません。

 

お古くからの方がたにとっての城址公園とは、

「子供たちが喜ぶ、遊園地と動物園の城址公園」となりましょうか。

 

かつての小田原城址公園、

天守閣を挟んで、「動物園」と「こども遊園地」というふたつの楽しいエリアがありました。

 

もう動物園はなくなってしまいましたが、

こども遊園地は規模縮小ながらいまだ健在であります。

 

こども遊園地には、

今も現役稼働中の豆汽車、豆自動車、コーヒーカップに加え、

かつては、観覧車や飛行塔などもありました。

 

現在は小田原も少子高齢化ですが、昔は子供が多かった。

城址公園のこども遊園地もたくさんの子供たちでにぎわっていました。

 

動物園には、最盛期70種類もの動物が飼育され、

現在の天守閣前広場には、たくさんの動物がいました。

 

トップスターはなんといっても、象のウメ子さん。

 

人気者のウメ子さんは、「ウメ子さん」とさん付けで呼ばれていました。

飼育された象としては記録的な長寿だったそうです。

皆に愛され、長生きした象でした。

 

他にもたくさんの動物がいました。

ライオン、クマ、アシカなどの大型動物から、

タヌキやキツネ、ウサギやリスなどの小型動物まで。

丹頂鶴や孔雀、フラミンゴといった珍しい鳥もたくさんいました。

 

かつての城址公園は、まさに、

子供たちが喜ぶ、遊園地と動物園の城址公園でした。

 

現在は遊園地も規模縮小、

動物園はなくなりニホンザルの檻がぽつんと一つ残るのみとなっています。

 

きれいに整備され、歴史浪漫を感じさせる天守閣前広場に、

やや不似合いな佇まいの猿の檻だけが残っています。

 

ちょっとだけ違和感のある風景といえなくもありません。

 

さて、お話変わりまして、

小田原城の歴史であります。

 

戦国時代の小田原城は難攻不落、天下の名城でした。

かの武田信玄も上杉謙信も、小田原城を攻めにきて取り囲みまではしましたが、

その堅い守りを破ることはできず、いずれも退散しました。

 

小田原北条氏は、この小田原城を本拠地に五代百年の栄華を誇りました。

 

そんな不敗の名城にも最期の時が訪れます。

運命の天正18年(1590年)7月7日です。

世にいう小田原合戦で、ついに開城と相成るわけであります。

 

太閤豊臣秀吉は天下統一の総仕上げに、

戦国の世に幕を下ろす合戦、小田原合戦を仕掛けました。

 

秀吉は全国の戦国武将を総動員、オールスターキャストで攻めてきます。

小田原城を守る5万人に対して、攻め手のその数20万とも21万人とも。

 

石橋山には一夜城なんてとんでもないものを作ってみせ、

その優勢な経済力と技術力を誇示します。

 

迎える小田原北条方はといえば、

 

息子(氏直)の嫁の父である徳川家康に、

ご親族なればお味方を、と頼ろうとするも早々に手切れ、

かの家康公、現在の小田原東高校か町田小学校のあたりに陣取り敵対の構え。

 

最期の頼みの綱だった大物、

奥州の独眼竜・伊達政宗には土壇場で裏切られ、四面楚歌。

劣勢なことこの上なしです。

 

それゆえの降伏開城。致し方のないところではありました。

 

しかし、あくまで「開城」です。

戦闘で攻め落とされての「落城」ではありません。

 

小田原城が破られ、落とされたのではありません。

北条家重臣に内通(背信)者が複数出たため、

やむなく北条家が降伏。それゆえの開城でした。

 

仮に小田原城を擬人化して、

この時の小田原城の気持ちを慮るとするならば…

 

「俺(小田原城)は負けていない。北条に裏切者が出ただけだ。」

「北条の負けで、俺(小田原城)の負けてはいないぞ!」

「だいたい秀吉って奴は堂々と攻め込んでも来ないで勝ったなんぞと…あ~忌々しい!」

といったところでしょうか。

 

まあ、これは完全に私の妄想なのですが。

 

さてさて、

毎度長い枕にお付き合いいただき、まことにありがとうございます。

 

ここでやっと「都市伝説」のお話となります。

 

「小田原城にまつわる都市伝説」

 

副題

「小田原城址公園に今なお猿の檻だけが残されている理由とは?」です。

 

最盛期70種類もの飼育動物たちがことごとくいなくなるなか、

なぜ唯一、猿だけが残っているのか?

 

その理由は、

 

「猿(秀吉のあだ名)だけは檻に閉じ込めておきたいという、小田原城の強い思いがあるから。」

 

いかがでしょうか?

 

信じるか信じないかは、あなたしだいです。

 

毎度、駄文にお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

また、お暇のおりにお付き合いいただけますよう、よろしくお願いいたします。

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