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川崎長太郎を読む

ブログでは塾と関係のないことのみを書いています。

本当にたいしたことは書かないので 御用とお急ぎでない方、

特に、お暇で気が向いた方にお読みいただければ幸いと書く次第です。

 

庭の梅の木に蕾がつきはじめ春近きを感じる今日この頃であります。

共通テストも終わり、受験勉強もいよいよ佳境といったところでありまして、

本業の場面では緊張感のある毎日であります。

 

おかげさまで毎年多くの受験生の皆様をお預かりするという大役を賜りまして、

本当に有り難いことだなあと、

己が浅学非才はもとより承知、ここが頑張りどころと奮闘の日々であります。

 

本日は、そんな緊張の日々、一服の清涼となる趣味、読書のお話をさせていただき、

今日も今日とてしばしお付き合いのほどよろしくお願い申し上げる次第であります。

 

川崎長太郎を読んでいます。

 

川崎長太郎は小説家でありまして、

1901年明治34年に生まれ、1985年昭和60年に亡くなります。

明治34年といわれてもピンとこない遠い昔でありますが、

昭和60年ならよく知っています。中学生でした。

そういうわけでありまして、川崎長太郎は私にとっては祖父母の世代の小説家でありまして、

そんな世代的距離感であります。

 

川崎長太郎は、浪漫主義か写実主義かという分類でいえば徹底的に写実主義。

リアリズムの作家でありまして、私小説家であります。

自分の身の回りのことを、浪漫という名のフィクションを排し、

自身の目で見た事実を描写することで真実に至らんとするそういう主義であります。

 

長太郎作品は、小説としてもちろん面白いのでありますが、

細部の描写が戦前・戦後のリアルなルポルタージュとしても楽しめるわけであります。

 

長太郎は小田原生まれの作家で、人気作品の多くも小田原在住時に書かれました。

戦前・戦中・戦後の小田原が長太郎の目と心に映ったままに描かれています。

 

実家は魚屋で、家業の家督は弟に譲り、長太郎はその物置小屋で多くの人気小説を書きました。

貧しい暮らしでありますが、気高くもあり、でありながら露悪的だったりと、

長太郎の大ファンで多大な影響を受けたという、つげ義春の「無能の人」のような世界であります。

 

長太郎の魚屋は小田原浜町にありました。

私の母方の祖父は同じ浜町で八百屋をしておりました。

旧町名でいえば長太郎の魚屋は万年町、祖父の八百屋は青物町なので

細かくいえば旧隣町ではありますが現在では同町内、ごく身近に感じます。

 

長太郎の作品で描かれる小田原は、私の知らない青年期の祖父が見た小田原であるとも思えて、

私にはぐっと迫るものがあります。

またそれは、私自身が子供の頃に手伝いと称して、

晩年の祖父の配達や行商にくっついて歩いた町、その地続きに少し昔の様子でもあります。

 

長太郎の小説に出てくる細かい描写に、ふと読むのを止めて往時の町の姿を想像してしまいます。

それはさながら大掃除をしているときに、たまたま見つけてしまった懐かしいものに、

ふと掃除の手を休め、しばし思い出に浸ってしまい、「ああイカン掃除掃除」となる様によく似ているわけであります。

 

さてもさても、精神安寧のための現実逃避はこれくらいにして、

ここがいちばん頑張りどころ、奮闘努力の現実世界に戻るであります。

 

毎度、駄文にお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

また、お暇のおりにお付き合いいただけますようよろしくお願いいたします。

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