「なぞなぞ」に答える
ブログでは塾と関係のないことのみを書きます。
本当にたいしたことは書かないので
御用とお急ぎでない方、特に、お暇で気が向いた方にお読みいただければ幸いと書く次第です。
なぞなぞをよく出されます。
小学生、特に低学年の間では周期的になぞなぞが流行ります。
年に3、4回といったところでしょうか。
面白かったり、難しかったりした問題を私に出してくれるのです。
私は真剣に答えます。
毎度真剣に答え続けてきたのでなぞなぞ得意です。
得意というか単なる蓄積との見方もありますが。
いずれにしても、ちょっとガッカリさせるくらいビックリの瞬時で答えたりします。
何なら問題の途中で残りの問題と答えを言ってしまったりします。
それはさながら、格闘技の師匠がトンパチな弟子に不意の真剣勝負を挑まれたとき、ガツっと本気を出す、みたいなことでしょうか。
山本小鉄と前田日明のような感じでしょうか。
ザ・グレート歌舞伎とムタの対決といってもいいでしょう。
なぞなぞに関しては「いつ何時、だれの挑戦も受ける」という猪木イズムでオープンマインディッドです。
大人げなく真面目に考える大人、
子供に花を持たせることをしてくれない大人。
この人はちょっと変わった人ではないか?
と思ってくれたところから人としての付き合いが始まる気がして、
なぞなぞを挑まれたときは、来たぞと気合いを入れてから、いつも真剣に答えます。
子供達は独特の会話の形式、コミュニケーションの作法を持っています。
例えば、「明日晴れる?」と突然聞かれることがよくあります。
「雨降るかなあ?」も同意です。
「勉強と関係ないでしょ、勉強しなさい!」なんて返すのは無粋でもったいないです。
そんなときは必ず、明日何かとても楽しみなこと、あるいは心配なことがあるんです。
その話をしたいのだけど、いきなりその話はできないので、
まず天気の話からその話題に持っていこうという、
なかなかに洗練されたコミュニケーションスキルというか作法なのです。
私もその話には乗っかります。
ここを無視しては人としての付き合いを断ることになりかねません。
立場トークは必要ではありますが、人としての信頼があってこそです。
「先生という立場でしか話さない人」と思われているうちは
「生徒という立場での振る舞い」しかしてくれません。
それはつまらないことだし、お互いムダに疲れます。
とても楽しみなことあるいは心配なことは、その人の独自の感性、すなわち個性です。
私も一人のおじさんとして、先生という鎧を脱いで話を聞きます。
楽しい雑談、大切な雑談タイムです。
そんなこんなで、なぞなぞ、怖い話、都市伝説、盛った話の定型が私の中にたくさん蓄積されています。
定型が蓄積されると定型から外れた部分が見えてきます。
それがその人の個性です。
自由服よりも制服のほうが逆に個性が際立つということにも通じましょうか。
作法を守ると個性が出てくるというお話です。
蛇足な話ですが、
同様の作法に則って「先生は、将来何になりたいの?」と聞かれることがあります。
微笑ましいです。
自分の将来の夢について話をしたいので作法に則ってこう聞いてくれたのです。
その気遣いや有り難しではありますが、
半世紀近く生きてしまった私にあるのは将来ではなく老後なのです。残念!
明日は「卵 クルミ チョコレート」何~だ?の答えを書きます。
毎度、駄文にお付き合いありがとうございます。