日本の家族
ブログでは塾と関係のないことのみを書いています。
本当にたいしたことは書かないので
御用とお急ぎでない方、特に、お暇で気が向いた方にお読みいただければ幸いと書く次第です。
交際している男女がいます。
お互いにファーストネームや愛称で呼び合います。
やがて二人は夫婦となり、子供が生まれます。
ファーストネームで呼び合っていた二人は
いつしか「お父さん」「お母さん」あるいは「パパ」「ママ」とお互いを呼び合います。
「お父さん」のお父さんは「お爺ちゃん」に、
「お母さん」のお母さんは「お婆ちゃん」に呼び名が変わります。
お父さんの妹は「叔母さん」、お母さんのお兄さんは「伯父さん」と呼ばれるようになります。
二人目の子供ができると、最初の子供はその日から「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と呼ばれるようになります。
やがてその子供が成長し、伴侶を得て子供が生まれます。
「お父さん」「お母さん」は「お爺ちゃん」「お婆ちゃん」に、
「お爺ちゃん」「お婆ちゃん」は「ひい爺ちゃん」「ひい婆ちゃん」になります。
日本ではごく一般的な習慣です。
ずいぶん前にこの習慣を批判する声を聞きました。
欧米文化追従・礼賛の時代です。
日本では個人が尊重されていない。家族での役割、立場が優先で建前文化だ。
封建的で旧くて悪い文化であると。
見てみろ欧米では夫婦も名前で呼び合っているぞ。
日本は遅れているんだ!
自由惑星同盟万歳、くたばれカイザーラインハルト!と。
そんなものかな、と思っていました。
でも、なんとなく引っかかっていました。
「旧いもののすべてが悪しきものではないでしょ」とはセイラ・マスことアルテイシア・ダイクンの台詞です。
なんとなくもやっとしていたのですが
この話を聞いてスッキリしました。
私が、今生きている人類の中で最高の知性の一人と私淑する
哲学者内田樹先生の言です。
「日本では、家族間の呼び名は、その家族の中で最も幼い人を中心に構成されている」と。
確かに、すべての呼び名の起点は最も幼い子です。
子供が生まれればその子供、孫が生まれたらその孫の視点からの呼び名に全員変更です。
その家族の一番小さい子から見て、「お兄ちゃん」だったり「お母さん」だったり「お爺ちゃん」だったりしています。
おもしろいのはその呼び名を家族全員が共有していることです。
「お爺ちゃん」は「お母さん」にとってはお父さんです。
でも「お爺ちゃん」と最も幼い子から見た呼び名に変えます。
「お兄ちゃん」は「お母さん」にとっては息子です。
でも「お兄ちゃん」とやはり最も幼い子から見た呼び名に変えるのです。
内田先生はこうつづけます
「日本の家族は、最も弱いものの安全と養育を最大の目的とした集団である」と。
目から鱗が落ちるとはこのこと。けだし名言です!
営利目的や業績を競う集団なら、「能力が高いものがエラい」でいいでしょう。
いや、そうでなければなりません。
生き残るために強者を優遇し弱者を切り捨てるのも致し方のないこと。
それが世の中の厳しさってものでしょう。
しかし、だからといって家族の中までそうなっては小さな子供にとっては気の休まるところがない。
気の休まらない環境ではトライアンドエラーから学び、失敗を糧に成長するなんてのんきなことは言ってられません。
一人でも生きていけるのが大人だとすれば、一人では生きていけないのが子供です。
大人に助けは要りませんが、子供には助けが必要です。
社会が強者中心の理論であるのだから、家族はか弱きものを安全に育てることを原理とすべし。
未熟な子供を一人で生きていける大人に育てるためにこそ家族は存在するのだと内田先生はスパッと言い切ります。
なるほど、とひざを打ち、
いいじゃん。日本の家族。と思えました。
毎度、駄文にお付き合いいただきありがとうございます。