嗚呼、花の応援団
ブログでは塾と関係のないことのみを書いています。
本当にたいしたことは書かないので 御用とお急ぎでない方、
特に、お暇で気が向いた方にお読みいただければ幸いと書く次第です。
高校野球の季節になりました。
昨年はコロナ禍で大会は中止。
今もまだまだ油断できない状況ですが、
関係各位の努力のおかげで、今年は無事開幕しました。
小田原球場に母校、小田原高校の応援に行ってきました。
まずは初戦を快勝しました。
よかったです。これからも勝ち進んでほしいです。
実は、高校時代に応援団をやっていました。
応援団最大のイベントが夏の甲子園予選の応援でした。
なので高校野球を観ると、つい応援団目線で観てしまいます。
当時の小田原高校応援団は、
未だに旧制中学の香り漂う伝統のバンカラ集団でした。
現在、高校野球の応援といえばブラスバンドとチアリーディング。
華やかな応援です。さぞ野球部員たちのやる気も出ましょう。
吹部やチア部、保護者会や学校関係者と共に、
ベンチ入りできなかった野球部員が応援をリードするというのが定番になりました。
「応援団」という、応援をすることだけが目的という不思議な集団は今やレッドリスト、絶滅危惧種です。
私たち「応援団」がしていた応援には華やかさは微塵もありませんでした。
応援するのは男子のみ。衣装は正装の学生服、学ランです。
真夏の炎天下で学ランです。
ご案内のように、学ランは冬物です。夏服用の学ランはありません。
しかも、私は個人的趣味で少々長めの学ランでしたから、なおのこと暑い。
真っ黒な集団が、異常に大きな声と、異様にピシピシとした一糸乱れぬ動きで応援します。
しかも真夏で汗だく。
楽器は和太鼓が「ド~ン、ドドドド~ン」のみ。
はためくのは大団旗(でかくて重い)のみ、もちろん旗手は不動の姿勢。
華やかなチアとは大違いです。
今では考えられませんが、試合中、団員は飲水厳禁です。
汗を拭うことすら禁じられ、微動だにしないが理想です。
ちょっとした軍隊です。
学生ズボンには汗がしみこみ、それが炎天で乾いて
黒いズボンを白くします。なぜかおわかりになりますか?
塩です。汗の水分が蒸発して塩が残るのです。
う~ん。人体の神秘。
そんな過酷な応援の時間で、
唯一の安らぎは「お地蔵さん」の時間でした。
応援団の女子マネージャーさんが、
水も飲めない私たちを哀れに思って、
バケツにくんだ水を柄杓で頭からかけてくれるのです。
ひとりずつ、「頑張って」なんて励まされながら。
私たちは微動だにすることも禁じられていますから、じっと水をかけられます。
無言、無表情で一瞬の清涼を味わうわけですが、
これが傍から見ているとお地蔵さんにお水をかけるように見えるので「お地蔵さん」の時間です。
そんな、今どきだったら、相当トガったバラエティ番組でもコンプラ的にアウトなスタイルの応援をしていました。
80年代の終わりのことです。昭和は遠くなりにけりです。
つらいことばかりの応援団活動でしたが、よいこともありました。
勝って校歌を歌うとき、校歌斉唱をリードするときは爽快でした。
グラウンドの選手、応援スタンドの観客一体となって歓喜の校歌です。
やっててよかったなと思う瞬間です。
負けたときは、相手校の校歌を聴きます。
不動の姿勢で、整列して聴きます。
聴き終わると、あるいは歌い終わると、
ここからが私が一番好きだった時間、
「エールの交換」をします。
それぞれの応援団が相手校の健闘をたたえてエールの交換をします。
全員で最後の力を振り絞って、ガラガラの声とボロボロの姿で。
「ふっれ~~~~、ふっれ~~~~〇〇高~~」
最後はお互い相手高校の応援をして終了です。
戦い終わればノーサイド。
今でも実にいい文化だったと思っています。
「古き良き」とつけなければならなくなったのは残念ですが。
夏の高校野球は負けたら終わりです。
多くの選手は選手生活をここで終えます。
3年B組金八先生も、卒業の回は毎回感動と決まっています。
地方大会にも球児の数だけドラマがあります。
機会があったらご覧になってみて下さい。
元気が出ること請け合いです。
今年は応援を一部制限しての開催となりました。
コロナが落ち着いて、思い切り応援をしての夏の大会復活を願います。
毎度、お付き合いいただきありがとうございます。
また、お暇の節にお付き合い下さい。