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子供の頃にハマっていたこと

ブログでは塾と関係のないことのみを書いています。

本当にたいしたことは書かないので 御用とお急ぎでない方、

特に、お暇で気が向いた方にお読みいただければ幸いと書く次第です。

 

タレントのタモリがかつて自身のラジオ番組で言いました。

「そもそも、私にとってラジオとは、聴くものでもなく、まして出演するものでもなく、作るものでした。」と。

激しく共感しました。

 

私もそのクチでした。

今では絶滅危惧種ですが、昭和の頃は多数生息していた「機械いじりが大好き」な子供でした。

右手にラジオペンチ、左手にハンダゴテでした。

直す、改造する、と言って、壊した電気製品も数知れずですが、ラジオくらいは自作しました。

私も未だにラジオのヘビーリスナーではありますが、「ラジオは作るもの」からスタートしました。

 

機械好きが昂じて、

小学4年生でアマチュア無線の免許を取得し、アマチュア無線をしていました。

マセた子供でした。

 

アマチュア無線の免許は国家資格です。取得には国家試験があります。

「工学」と「法規」の2科目に合格しなければなりません。

 

「工学」では、オームの法則から始まり、合成抵抗の計算、キルヒホッフの法則などを理解し、計算し、回路図を読み書きします。

「法規」では、「電波法」という法律の条文を暗記します。「公共の福祉」という言葉と概念を初めて知りました。

 

年齢制限はありませんが、基本的には大人が対象の国家試験です。

試験会場には私の他に小学生はひとりもいませんでした。

当時の最年少合格は小学2年生でした。

(現在はなんと3歳で合格という天才児がいるそうです)

手前味噌ですが、私の小学4年で合格もなかなかのものだったと思います。

生意気ボーイです。

 

なかなかの生意気ボーイだとは思うのですが、

当時の私は大人たちに、とても心配される子供でもありました。

 

上履きを左右逆に履いていたり、ズボンの背中からシャツが出ていても気にしなかったり、

学校の机の中が整理されていなかったり、大切なお知らせのプリントをなくしたりと。

おとぼけボーイの定番エピソード、ランドセルを忘れて登校も何度かありました。

 

う~ん。我ながらこちらの方もなかなかです。

 

そんな自分の経験から、「うちの子は興味のあることなら集中するんですけど…」というお話。とても共感します。きっと私の同類です。

「興味の無いこともちゃんとできる」人は尊敬します。私も出来るだけかくありたいと思います。思い続ける半生になってしまいましたが。

 

子供ながらに趣味アマチュア無線という、ちょっと変わった小学生でした。

まあ、他にも様々なものに興味を持ちがちでしたが、

子供の頃にハマっていたものを、煎じ詰めれば「科学への憧憬」となりましょうか。

 

「今日より明るい明日のために」は松下幸之助が創業した松下電器(現パナソニック)のキャッチフレーズでした。

科学の進歩がより豊かでより良い生活を生むと無邪気に信じられていた時代でした。のどかな時代です。

AI(人工知能)の進化には怯えるばかりで、まったく楽しみにする様子のない現在と比べると、

実にのん気というか、おおらかな時代でした。

 

小学生の私は「科学技術」を「機械に強い」「電気に強い」と翻訳し、

行き着いた先が「アマチュア無線免許取得」だったのだと思います。

 

以前、このブログにも書きましたが、小学生の時になりたかったもの、

3つのうちのひとつが、「家庭配電の電気工事士(自営)」でした。

他の二つ「漫才師」と「プロレスラー」に比べて妙に現実的なのは、

関連する勉強を自分なりにしているという、子供なりの自負があったからだと思います。

 

「機械に強い」への志向はやがて、バイクや自動車などの自分で運転する乗り物への興味になったり、

電車(鉄オタ)嗜好になったり、船舶、航空を含めてミリタリーマニア的な興味へと続いたりしました。

いずれの趣味も元をただせば「科学技術」への憧れです。

 

私の「科学」への憧憬は「技術」だけでなく、「文学」にも及びました。

サイエンス・フィクション、空想科学小説、SF文学です。

小松左京、筒井康隆、星新一の大御所たち。

松本零士、富野由悠季、田中芳樹らは映像の世界でも。

彼らの作品は純文学とはちがった面白さがありました。

哲学でいう思考実験の面白さでした。

言うことが理屈っぽくなりがちという弊害はありましたが、

知識の広さ深さ、思考の深さへの憧れを強く持つという良い影響もありました。

 

SFは後発のジャンルだったからか、サブカルチャーに分類されました。

サブカルチャーの良いところは、メインカルチャーに横糸を入れることです。

 

人文科学と自然科学のように縦割りになったメインカルチャーを横断する視点をもっています。

学校の勉強は、英、数、国、理、社、音、美、保体、技家と9教科縦割りですが、

サブカルを楽しむには全ての知に精通することが求められます。

サブカルの効能です。物理や化学を避けていてはSFは楽しめません。

 

興味がわいた分野を、興味がわいたときに、にわかに勉強ですから、

結果として、学校の勉強にどれほどの好影響があったかはわかりませんが、

勉強をするモチベーションのひとつになったことは間違いありません。

 

まあ、そんなこんなで、子供の頃のことをあれこれ思い返してみたところ、

あれは「科学の時代」だったんだなあと思った次第です。

 

お世話になっている、タウンニュースさんから

「子供の頃ハマっていたものは何ですか?またその理由は?」50字程度で答えて下さい。とのご依頼を受けました。

本当はこれを答えたかったのですが、とても50字では伝えられそうもなかったのでブログに書かせていただきました。

 

紙面には、「毎日、友達と遊んでいました」と書きました。

これまた真実。

 

いろいろなことに興味の赴くまま、たくさんのマイブームがありましたが、

私ひとりのマイブームということはまずありませんでした。

私たちは「団塊ジュニア」世代。とにかく子供が多かった。

誰かのマイブームは必然的にいつもの仲間で一緒に楽しむアワーブームでした。

これが楽しかった。

 

現在なら、インターネットを通じてSNSを活用して、同好の士と知り合う機会もありましょう。

好きなものどうしで存分に楽しむというのももちろん楽しいことでしょう。

しかし、あまり興味がない仲間に楽しさをプレゼンしてマイブームをアワーブームにする。

あるいは、さして興味はなかったことも友達に巻き込まれて自分も楽しむようになる、

というのも楽しい経験だったなあと思い出した次第です。

 

ハマっていたという表現にピタリと合っているわけではありませんが、

いろいろ楽しいことはあったけどいつもの仲間と楽しんだ、

人付き合いの煩わしさもあるにはありましたが、そんなことも気にならないくらいの楽しさがあった。

そんな日々だったと思います。

 

1995年のウインドウズ95の発売を持ってインターネット元年とするそうです。

インターネットが日常生活に必須のインフラになって久しいです。

ネットがなかった我が子供時代を思い出すと、「いつも友達が一緒にいたなあ」と、こちらを回答とさせていただきました。

 

毎度、駄文にお付き合いいただきありがとうございます。

また、お暇の節によろしくお願い申し上げます。

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