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言われてみれば

ブログでは塾と関係のないことのみを書いています。

本当にたいしたことは書かないので 御用とお急ぎでない方、

特に、お暇で気が向いた方にお読みいただければ幸いと書く次第です。

 

言われてみれば、そりゃそうだよなあと思うことがありまして。

私なんぞは、まあたいていぼんやりと日々を過ごしておりますから、

そんなこともちょいちょいあるわけであります。

 

先日も、

お隣の県、山梨県の県庁所在地、甲府市。

この甲府という町の名前が、

甲斐の国、甲州の国府から甲府になり、

これまたお隣の県、静岡県の県庁所在地静岡市の中心部、駿府。

この駿府という名前も、

駿河の国、駿州の国府から駿府になったと知りました。

 

国府というのは奈良・平安の律令時代、各国の中心に置かれたお役所でありまして、

どちらの町もそのころからずっと栄えている町ということでありましょう。

 

甲斐の国の国府があった町で甲府、

駿河の国の国府があった町で駿府であります。

 

ご存じだった方にとっては、

何だそんなことも知らないのかとお思いでありましょうが、

知らなかったというか、気づかなかったというか、とにもかくにも私は

「ああ、そうか。言われてみればそりゃそうだよなあ。」と思った次第です。

 

まったく逆説的でありますが、

「知る」ということは「知らない」ことを知ることでありまして、

知れば知るほど、自分のものの知らなさに気づかされるわけであります。

 

しかし、こんな私にもふと気になる疑問がわきました。

甲州国府で甲府、駿河国府で駿府。

であるならば、我らが相模の国の国府はどこだったのでしょうか?

「相府」という土地がどこかにあるのでしょうか?

 

皆様いかがお思いになられましょう?

相模の国の国府や何処?

 

たいていぼんやりな私ではありますが、

せっかく疑問に思ったことくらいは調べてみましょうと、調べてみました。

 

ということで、相模の国の国府は何処?の調査リポートであります。

毎度毎度ではございますが、本日もよろしくのお付き合いのほど、お願い申し上げる次第であります。

 

さて、結論から申し上げますと、

「相模の国の国府はどこにあったかわからない。」というのが結論でありました。

 

しかしこれは大変珍しいことでもあるそうです。

 

律令体制では、全国を68ヵ国に分けていました。

すべての国に国衙という役所を設け、その周辺都市域を国府といいます。

 

甲府、駿府のように、その後も地域の中心都市として発展していった国府も多く、

ほとんどすべての国の国府の位置は判明しているのでありますが、

ただひとつ、我らが相模の国のみその位置が判明していないのです。

 

相模の国の国府や何処?の答えは、

「どこにあったかわからない。」なのでありますが、

世の中にはえらい人たちがいるもので、「わからない」では済ませずに、

はっきりとはわからないがここまではわかっていると研究してくれています。

えらいものです。ありがたいことです。

こういう人たちのおかげで、今日より明るい明日を迎えてこれたのでしょう。

感謝感謝でありますな。

 

さて、その研究成果によりますと、諸説ありの段階ではありますが、

確定的なことが二点あり、一つは相模の国の国府は三遷しているらしいこと。

候補地はいくつかに絞られていることの二点です。

 

複数回引越しをしているので、時代ごとの国府が存在するようです。

どこにあったかわからなくなるわけですな。

 

候補地なのですが、いずれも根拠となる文献、出土品があり、

「海老名」「平塚市四之宮」「伊勢原市比々多」「秦野市御門」「大磯町国府本郷」などが有力候補地となっております。

 

根拠となる文献、出土品とともに力説されますと、

いずれも「ありそうっちゃありそうな土地ばかりだなあ」なんて思うわけであります。

 

さて、これらに加えて興味深い新説があります。

相模の国府、現在の千代中学校のところにあった説です。

 

千代中学校は千代寺院跡という寺跡に建てられています。

校舎建て替えのたびに出る出土品から、俄かに有力視されている新説です。

最も古い時代の国府は現在の千代中学校の辺りにあったのでは、という説です。

とてもご近所です。身近に感じます。

 

ここからは、

相模国府=千代中学校説と、

「言われてみれば」と思いついた他愛のない空想です。

 

相模の国府=千代中学校説が正しいとするならば、

その国府の海上交通の玄関口は何処になりましょうや?

 

西から下ってくると箱根山、足柄山が難所となる相模の国です。

海上交通は重要であったでありましょう。

 

千代中学校からまっすぐ海へ向かったところ。

そう。国府津であります。

 

国府津(こうづ)は難読駅名としてクイズでおなじみです。

地元にのことは気づかないことが多いですが、難読駅名、国府津駅はクイズの定番であります。

 

国府津すなわち国府の津であります。

津とは港を意味します。

国府の港があった場所なので国府津、いかがでしょう?

 

今から1000年くらい前。

京の都、平安京で政争に敗れ失意のうちに、

あるいは初めての官職を得て意気揚々と、

いずれにしても東国、相模の国に赴任した貴族がいました。

 

京の都では、未開の地、野蛮な地と思われていた東国へ下ります。

船で渡ってきて、不安とともに降り立った東国の港。それが国府津。

西湘バイパス国府津インターの辺り。

そこから牛車に乗って仕事場である国衙へ移動。

現在の千代中学校の辺り。

彼が新しい仕事場から酒匂川越しに眺めた富士山。

今とどれほど変わった景色だったのでしょう。

また、どれほどちがわぬ景色だったのでしょう。

 

相模の国の国府=千代中学校説を知って、

そんなこともあったのかもしれないと、つらつらと思った次第であります。

 

毎度、駄文にお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

また、お暇のおりにお付き合いいただけますよう、よろしくお願いいたします。

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