ツッコミの時代
ブログでは塾と関係のないことのみを書いています。
本当にたいしたことは書かないので 御用とお急ぎでない方、
特に、お暇で気が向いた方にお読みいただければ幸いと書く次第です。
小学生の頃、なりたかった職業が3つありました。
「漫才師」か「家庭配電の電気工事士(自営)」か「プロレスラー」になりたいと思っていました。
う~ん。昭和の子供ですね。我ながら発言に脈略と責任がまったく感じられません。
今の子供達なら、もう少し大人が感心するようなことを言います。
漫才師になりたかった、という話しです。
いわゆる漫才ブームが小学校の真ん中辺りでした。1980年頃です。
B&B、ザ・ぼんち、ツービートに夢中でした。
流行とはいつでもそうなのでしょうが、今となっては不思議なものに夢中でした。
B&Bというコンビは、広島出身の島田洋七が、お国自慢をするというネタで一世を風靡しました。
広島名物、紅葉饅頭の形を、大きく宙に描きながら、大きな声で「もみじまんじゅう~!」と胸を張って絶叫します。
岡山出身の相方、洋八に広島はすごいんだぞと自慢するわけです。
「もみじまんじゅう~!」と絶叫するだけなのですが、腹がよじれるほど笑いました。
ザ・ぼんち、というコンビは、おさむというボケ担当が「おさむちゃんです」と自分の名前を名乗るだけというネタが絶品でした。
「お~、お~、お~~~さむちゃんで~~~す!」とタメにタメて絶叫します。血管が切れそうなくらい力んで絶叫します。
なぜそうするのか?なぜ面白いのか?全くわかりませんでした。今でもわかりませんが、呼吸ができなくなるほど笑いました。
ツービートは、今も活躍するビートたけしとビートきよしのコンビです。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」
「注意一秒怪我一生、車に飛び込め元気な子」
突き抜けた毒舌ぶりに驚き、笑いました。
ビートたけしの影響力は大きく、彼の「斜め下からものを見る」というトリックスター的思考法は時代の主流になりました。
漫才は変なことを言う「ボケ」と、それを糾す「ツッコミ」の掛け合いです。
この時代の漫才は圧倒的にボケ優位。「ボケの時代」でした。
洋七、おさむちゃん、ビートたけし、みんなボケ担当です。
ツッコミは「よしなさい」とか「そんなアホな」程度でおまけ扱いでした。
ツッコミはただ隣にいるだけ、うなずいているだけなので「うなずきトリオ」と揶揄されていました。
面白いことを言うのは専らボケ、ボケこそスターでした。
其の伝で言えば、現在は「ツッコミの時代」といえましょう。
「ボケは才能、ツッコミは技術」と言ったのはダウンタウン松本人志です。
ツッコミの技術が向上し、地位も向上しました。
今や「ツッコミのスター」も当たり前の存在です。
現在、お笑い第7世代が活躍しています。ツッコミのスターが沢山います。
第7世代の旗手にして名付け親「霜降り明星」は、
粗品(人名)の右手を出しながらのツッコミを待って大きな笑いが起きます。
上岡龍太郎の甥っ子兄弟コンビ「ミキ」は、
亜生(弟)のクダラないボケに昴生(兄)が激怒してツッコミます。
こちらもツッコミが見せどころ。
その証拠に亜生がボケた段階では大きな笑いは起きません。
お兄ちゃんがキレたところで爆笑です。
「四千頭身」もボケよりもツッコミのトリオです。
やはりボケで笑わそうとはしていません、
真ん中のリーダー後藤がボソッと静かにツッコむことで笑いが起きます。
「ぼる塾」という女性トリオはキツい悪口を、
「ぺこぱ」は誰も傷つけない言葉を使ってのツッコミという違いはあれど、構造は同じ。
わかりにくいですが「三四郎」(6.5世代?)の小宮も担当ツッコミです。
挙げたらきりがありません。
いずれも、ボケで小さな笑い、ツッコミが入って爆笑という構造です。
「お~、お~、お~~~さむちゃんで~~~す」で呼吸困難になるほど笑った
(私だけではありません、日本中が笑っていました)時代から、笑いは進化しました。
笑いは文化です。文化は多様性こそが肝要。
突き抜けたボケの漫才も、鋭いツッコミの漫才もどちらも面白い。
詩人、金子みすゞ言うところの「みんなちがって みんないい」です。
ただ、「お~、お~、お~~~さむちゃんで~~~す」の頃を思うと、
今は「ツッコミ優勢の時代」といえそうだと、そう思う次第であります。
さて、長々とお笑い談義にお付き合いいただきありがとうございます。
ここからが本題です。
「ツッコミ優勢の時代」が、あまりよろしくない副作用をもたらしているのでは?
というお話をしたかったのです。
珍しいことが起こるとニュースになります。
事件や事故、スキャンダルがあったり、失言があったり。
地震や台風などの自然災害もそうですし、もちろん感染症のことも。
ニュースは、テレビなどのマスメディアでも、
ネットメディアでも、SNSでも、世間話のような個人的な会話でも語られ広まります。
ここに「ツッコミ優勢の時代」のよろしくない影響が出ているのでは?と思うのです。
「ニュース」があったら、それに対して「コメント」する、コメントを聞く、読む。までがセットになってきた気がします。
「ボケ」たら「ツッコむ」に重ねてみるのは私のパラノイアでしょうか?
「ツッコミ優勢の時代」が一般社会に影響を及ぼし「コメント優勢の時代」を生んだというのが、本日の私の説です。
ストレートニュースよりもニュースショー、ワイドショー化したマスメディアも、
コメント機能が進化したネットメディアも、百家争鳴の「コメント」の嵐です。
SNSに至っては、メディアとしての主な目的が「コメント」発表の場ともいえましょう。
「コメント優勢の時代」、ニュースとともにコメントもセットで消費する時代といえますまいか。
ニュースバリューとは別に、上手いコメントが言えるかを競っている感すらあります。
「ツッコミは技術」ですから、コメントも多く人口に膾炙されるなかで洗練されています。
賛否それぞれに「上手いコメント」はそれぞれの主張をわかりやすく伝えます。
それはよいことではありましょう。金子みすゞマインドに適っています。
ですが、よりキャッチーなコメント、もっと刺激的なコメントをと求めるうちに
寸鉄人を刺すようなコメントになることもしばしばです。
こうなるといただけません。
話し相手が、二の句が継げぬようにしてしまうコメント。
そんなコメントが良いコメントとされるのはいかがなものでしょう。
金子みすゞは、それも多様性と肯定するでしょうか?
「論破」をすることが格好良いことであるかのような風潮に私は眉をひそめます。
松本人志はかつてこうも言いました、「ツッコミって優しさやからね」と。
良いツッコミ、優しいツッコミはボケを活かします。
もっとこの人のボケを聞きたい、もっとこの人のツッコミを聞きたい、
すなわちもっとこの漫才を聞きたい、笑いたいと思わせるものです。
寸鉄人を刺し、論破し、二の句を告げなくするコメントは、ツッコミとは似て非なるものです。
ボケが活きる優しいツッコミが増えることを切望します。
若い人、小さい人と日常的に接しています。時に天才的なボケで笑わせてくれる人がいます。
このセンスは私だけでなく、将来も周りの人を笑顔にするでしょう。大切にしたいです。
社会に出てからの「武器」というと生臭い表現になってしまいますが、
その笑いのセンスは、その人オンリーワンの「個性」で「能力」で「財産」です。
私は、そのセンス面白いよ、大事にしていこうよというメッセージを込めて
できるだけ優しくツッコミます。ボケた人も、そのボケで笑った人も気持ちが明るくなるような。
そんなツッコミができたらいいなと思っています。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」というボケに
「交通事故被害の現実を勉強してから言ってください!キー!」とか
「被害者の前でも同じことが言えるのか!ウッキー!」などとカリカリせずに、
困り笑顔で「よしなさい」くらいが丁度良いのではないでしょうか?
毎度、駄文にお付き合いいただきありがとうございます。
お暇な節にまたよろしくお願いします。